ZENISTLIFE1章−2|変わりたくても変われない

ゆるふわに心地よく生きるロードマップ-福岡箱崎たまゆら庵 ZENISTLIFE

<前回>

2

やりたいことをやるよりも、まずはやりたくないことをやらない。

そう決めてから自分は変わった……

でも、変わった気がしただけだった。

実際に2日ほどやってはみたが、気がつくと元の木阿弥というやつ。今までと変わらない毎日になっている。

たしかにあのとき、あの場所では変わった気がした。なぜなら、あのカフェで得た知識が自分の中で根づいて、自分に自信がついたからだ。しかし、自分を変えるってむずかしかった。

思いかえせば朝活しようと思ったが早起きは3日坊主。瞑想にいたっては1日でやめてしまった。自分の意思の弱さに嫌気がさす。

「なんとか続ける方法はないものだろうか」

と考えながらドライブしていたら、あのカフェの前にいる。

相変わらずくたびれたオレンジのパーカーとブルーのデニム生地のエプロン、他に服を持ってないのだろうか、と気になってしまう。

「いらっしゃい。来るころだと思ってました」

なにかを見透かしたのか、そう声をかけてきた。自分が変わった気がしたのに、時間がたてば元にもどっていたこと、自分の意志の弱さがイヤになるなど一通り話をしたら、

「人間って安定を望むようになってます。今いる場所が安全なとこで、そこから出るのはキケンと無意識に思うようになってるんですよ」

とおじさんは言った。なんてこったい、それじゃあ人は変わることができないということ?

「一気に変えようとするからですよ。無意識にいる自分が、変えようと思った分だけ、元に戻そうと反発するんです」

無意識の自分め。ササーッっと現実を変えるため協力してくれてもいいのに。ササーッっと現実をかえる魔法のようなモノがあれば。

「地味に地道にトコトコとやるだけですねぇ。自分を変える魔法がもしあるなら、それが究極魔法です。ただ究極なんで身につける前にみんなやめちゃうんですが」

だよなぁ。でも努力ってキライなんだよな、暑苦しいし大変だし。それができりゃ誰も苦労しないよ。

「努力を再定義することです。歯を食いしばった、血のにじむような努力。それって努力じゃなく自分へのイジメです。それで成功するのはそういう性癖がある人くらいです」

努力の再定義か。
そもそも努力ってなんだろう?

「努力って楽しいものです。できなかったことができるようになる。知らなかったことを覚える。そうして自分が成長して、できることが増えていく。やらない理由はないですよね。だけど、どこかで間違ったコトを努力とかんちがいしちゃって、努力はしたくないモノと思うようになるんです」

たしかに努力って、そう考えたらやらない理由はない。ただなぁ、やっぱり努力って、なんか重い。

「ゴールが決まってないからです。マラソンと一緒です。ゴールのないマラソンなんて苦痛でしかないわけで、それは努力も一緒です」

なるほど、それじゃそのゴールはどう決めればいいんだろう?

「ゴールした自分に聞くことです。すでにそうである自分が、自分にとって最適なゴールを知ってるわけです」

すでにそうである自分。どんな自分だろう?
出てこない。

「紙に書くことですね。考えごとすべてに言えることですが、頭のなかだけで考えるのは効率が悪いです」

また紙か。でもそれはわかる。この前やりたくないこと、やりたいことを探したとき、その効果は実感した。

「すでにそうである自分をイメージしてみましょう。まずは深呼吸をして体をリラックスさせましょう。じゃあはじめますね。

どんな格好ですか

どんな所に住んでますか

どんな風にしゃべっていますか

なにをしゃべっていますか

どんな人と一緒ですか

なにを食べていますか

大事なものはなんですか

なにをしたいですか

それは誰のためですか

そうであるために、なにも条件はありません。すべて自分の望み通りです。妄想しまくってみましょう」

妄想した、しまくった。あれもこれもすべて叶っている自分。なんかワクワクしてきた。

「どんな気持ちですか? これが最後の質問です。そして、それがアナタのホントに望んでいるもので、その気持ちでいるアナタがホントのアナタ。つまり、そうである自分です」

頭の中にはいっているモノすべてが出たようなスッキリ感、ちょっとボーッとした感覚。その中ですでにそうである自分、その自分が感じていることを感じてみた。

なんか穏やかな気分。ワクワクでもなくハイテンションでもない、なんというかずっと味わっていたい穏やかな気分。波も風もない湖のうえに浮かんでいるボートで昼寝してる感じ。

そうだ、こんな気持で毎日を過ごせたら、いや過ごしたい、過ごすんだ。

「それってすでに味わったことがある気持ちじゃないですか? どこかで味わったことのある持続可能な幸福感。あなたはすでにそうであるんです」

言われてみると、この感覚いままでに味わったことがある。

お風呂にゆっくりつかっているとき、雨のとき家でなんにもしてないとき、子どものころにおじいちゃん、おばあちゃんの家で昼寝してたとき、あぁそうだ、この感覚はいままでに何回も味わっていた。

これが私のやりたいこと、これが私がすでにそうである状態だ。

「リラックスして、その感覚を味わっていてくださいね。で、その感覚の自分と今の自分がゆっくり溶けあうのをイメージしてください。イメージできたら終了です」

頼んでいたホットコーヒーは完全に冷めている。そのコーヒーを一口飲んで、ふぅっと一息はきだした。

夢から目覚めて現実にかえってきた感じ、でも、心地よさが体を優しく包んでくれている。

「時間がたつと忘れちゃいます。いまの感覚も。でも、自分のなかにある感覚です。その感覚を忘れたら思い出し、体にインストールしてみてください。行動の結果と質が大きく変わりますよ」

おじさんは続けて言った、

「みんな目に見えるものを手に入れようと必死になりますよね。スピリチュアルなワークでもお金とかパートナーとか理想の仕事とか、目に見えるものを手に入れるため頑張るように言われます。否定はしないけど効率が悪いんです、目に見えるものを手に入れるのって」

お金や理想のパートナーを求めるのが効率が悪い? みんなそのために生きてるじゃん。

目に見えるものは自分が味わいたい感覚を得るための手段であって目的じゃないんです。

すべて目に見えない自分の味わいたい感覚を得るためのパーツでしかないわけです。

たとえるならガンダムのプラモデルを作りたいのに、ある人は頭だけ、ある人は腕だけ集めるのに必死になっているようなものです。

目に見えるお金や理想のパートナーを求めるのって」

なんかしっくりきた。ガンダムを組み立てるのが目的なのに、いつの間にかパーツ集めが目的にすりかわってるということか。

すでにそうである自分が今の自分ってわかってたら、なにも求めることはないんです。

どんな状態でも気にならないし、不思議と自分が望んでいる状態に変わっていきます。

僕の生活もそれでこうなったんですよね。

望んでいるものだったんだけど、まさかこうなっているとはって驚きもあります。

でも、これでいいし、コレがいいんだって満足した気持ちです」

たしかにこんな何もないところで、必要最低限って感じの暮らし。結婚もしてないって言ってたし、お金持ちにも見えない。

みんながみんな憧れる生き方じゃないだろう。実際ワタシもこんなところでは暮らせない。

だけど「こういう生き方もアリかもなぁ」って思う生き方ではある。

「みんなちがって みんないい。それでいいんじゃないかと思うわけです」

たしかに。

みんな同じような格好で、同じ時間に同じところで、おんなじような毎日の繰り返し。

それが普通で当たり前。そう思っていたけど、それってホントに当たり前で普通なのか、それでいいんだろうか。

このカフェで時間を過ごしていると、そんなことを考える。

いまのこの持続可能な穏やかな感覚、これを味わえればどんな自分だっていいじゃないか。

イヤイヤなに言ってるんだ。
生きていくにはお金が必要でしょ?
どうやって生きていくの?
オマエになにができるってんだい?

頭のなかで悪魔と天使がまた戦いはじめた、悪魔が相当有利、天使にまたがって天使をフルボッコにしている。

そうだ生きていくにはお金が必要。そのためには働かなきゃ。イヤでもキツくてもそれが当たり前。それが生きるってコトなんだ。

すでにそうである自分がわかったところで、いまの現状が変わるわけじゃない。地味に地道にトコトコとなんて言われても、そんなに気長に待てるほど私はのんきじゃない。

また明日からおんなじような毎日の繰り返し。ワタシにはそれがお似合いなのか。

ただ、このころからワタシの人生は変わっていった。

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