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仕事に息づまる日々。
毎日仕事に追われ、ひと休みする時間がほしいと思いながら、朝の通勤ラッシュに巻き込まれる。
正直、疲れていた。
仕事にやりがいがないわけじゃない。でも、この仕事はホントに自分がやりたいのか?
だが、そんなことを考える余裕もないほどストレスやプレッシャーに悩まされ、ミスをしてしまった時は自分自身を責め、自信を失ってしまうことも。
そんな日々が続く中で、自分の夢を考えることや、やりたいことに割く時間がないことを痛感し、不安を感じていた。
そんなある日、仕事からくるストレスを解放したくなり海に向かって愛車のFIAT660を走らせていた。
広がる風景に海がちらちらと目にはいってくると、気持ちが落ち着いてくるのを感じる。
ふと、こんな看板が目に入ってきた。

「ん? ぜにすと? って読むのかなぁ。いつの間にできていたんだろう? そういや最近、空ながめる余裕すらなかったかも……」
最近仕事に追われて自分の気持ちに向き合っていないことに気づく。
自分は本当にこれでいいのだろうか。日々の仕事に追われ、自分が何をしたいのか、どう生きたいのか見失いがちだった。
なにか違う気がする。なにがどう違うのかわからないけど、心の奥底から、
「自分の人生は今の状態じゃない!」
そんな言葉が体の内側から聞こえてくるようだ。そんな言葉に対するヒントがあるかも。
ふとそう感じ、看板の先にある青いコンテナハウスへ車を走らせた。
店先から出てきたのはモジャモジャの犬だ。首輪の名札には「ゴンザレス」と書かれている。
「お一人様ですか?」
ちょんまげヘアにヒゲにメガネ。ちょっとくたびれたオレンジのパーカーにブルーのエプロンの犬、じゃなく男の人が立っている。
「あ、え、はい……ひとりです」
「ようこそ。『なんにもない』だけがあるところですが、ゆっくりしてくださいね」
愛想が良いわけじゃないけど悪いわけでもない、なんか落ち着く雰囲気のおじさん。なんだけど、年齢不詳。30代後半に見えなくもないけど50歳にも見える。
「なんにもないだけがある?」頭がちょっと混乱するが、店内はまさに「なんにもないだけがある」そんなネーミングがピッタリの場所。
カウンター3席と4人がけのテーブルが一卓。装飾はなく、店内奥に大きな本棚があるだけ。本棚は本よりも何もない場所のほうが多い。
メニューは、
「本日の一汁一菜」
「米粉パンのおまかせサンド」
「コーヒー、紅茶、ルイボスティー、手絞りジュース、自家製シロップ&クロップ」
だけ。
「あの。それじゃコーヒーを」
「はい。ちょっとお待ちください」
「いつから始められたんですか?」
普段は自分から話しかけたりしないのだが、あまりにも謎が多すぎる店と店員。ふと言葉が出てきた。
「2年前ですね。50歳の誕生日に始めたんです。もう街はやめようかな、そう思って田舎に引っ越して。気がつけば、こんな店をやってます」
「あの、家族は?」
「そこにいる犬のゴンザと猫のザルヴァです」
「ザルヴァ?」
「旧魔戒語で親友という意味です。と言われてもわからないですね、気になさらず」
「はぁ……たしかに」
コーヒーはエスプレッソをお湯でわったアメリカーノ。会社のちかくにあるカフェで知ったコーヒーだ。
アメリカーノで口の中がさっぱりしたからか、気持ちもさっぱりスッキリした感じがする。
シンプルで自然な雰囲気の店でゆっくりしていたら、自分の内側に向き合うように無言になってた。
自分が本当に求めるものって?
理想の生き方って?
自分はいったい何がしたいんだろう? この店みたいにシンプルでコンパクトな生き方ができたらなぁ……
自分自身に向き合う時間を持つことで何か体の感覚が変わり始めた。
自分が本当に求めるものって、いまのように穏やかでホッと安心できる、ムダがない感覚だ。
「あの、どうやったら、こんな生き方ができるんですか?」
「わたし今の生活を見直して幸せな人生を送りたいんです」
「いまの生活がイヤ、というわけじゃない。でも、このまま同じような毎日を繰り返す。それってちがう気がして」
「それじゃなにをしたいか。それがわからないし、そもそも自分になにができるわからない」
「もし、なにかはじめたとしても、自分なんかができるのかなぁ、なにかはじめたら誰になんて言われるんだろう。そう考えて動くのが怖いんです」
心のなかにある言葉が次から次へと出てくる。見ず知らずのおじさん相手に私はなにを言っているんだろう。でも、言葉が止まらない。
自分はなにものか? なにをしたいんだろう? なにができるんだろう?
そんな自分の内側にある問いかけを見ず知らずのおじさんに話している。
一息ついて、おじさんが話してくれた。
「そうですね。まずは自分が望む人生を想像してみるといいと思います。そして、ゆるふわに心地よく生きると言葉にすることです」
ゆるふわって? ファッション雑誌で紹介される「ゆるふわヘア」とか「ゆるふわ愛され女子」「ゆるふわコーデ」とかの、あのゆるふわのこと?
「ゆる〜く心地よさを感じながら自分らしく生きることです」
戸惑った私の表情で察したか、付け加えた。
「成功した人の話って、なんか暑苦しいじゃないですか。ハンパない努力でなにかを成し遂げた、みたいな。でも、それって古いし、そもそも普通の人には難しいわけですよ。んじゃあ、どうすりゃいいか? っていうと『ゆるふわ』に行動することです」
たしかに、そうだ。成功するって、自分の夢を叶えるって、とんでもない才能の持ち主がとんでもない努力して、それでいろんなことがあって、ついに成功した。そんな話ばっかりだ。
私にもやりたいことはあった、でも、そんな話を聞くたびに、
「私にはできっこない……」
そう思って、いつの間にかやりたいことより、やらなきゃいけないことでスケジュールがつまってた。やりたいわけじゃないのに。
「疲れちゃったんですよね。そんな世界に」
おじさんが言う。
「世間一般でいう成功って、突き詰めるとお金持ちになることじゃないですか?
でも、お金持ってるだけじゃなにもできない。
そして、お金って豊かさのほんの一部分なわけですよ。
そう気づいたとき、お金持ちになるより時間持ちになったほうが豊かだと思って。
それで街を、東京をやめたんです。お金持ちを目指すのをやめたんです」
時間持ち。
それいいかも。
お金は回ればいいんだ、必要な分だけ、必要最低限だけ。
そういえば家のなか、使わないものだらけだ。
使いたくても使う時間がない。ものを買うために時間をつかって働いて。
気がつけば大変なことや、やらなきゃいけないことで時間が埋まって、自分がやりたいことを忘れてた。
そうだ私にないのは時間だった。
自分を大事にする時間 自分を豊かにする時間 自分を楽しませる時間
いつの間にか、誰かのために生きていて、私のために時間を使ってなかった。
でも、私にできるだろうか? 誰になんと言われるか そもそも自分にできるのか
進みたい方に進みたい、
やりたいことをやりたい、
好きなときに
好きなことを
好きな人と、人たちと、
でも、もし失敗したら。
心のなかの天使と悪魔が戦うって、こういうことだろう。で、今んトコ悪魔が優勢だ。
「迷いますよね」
おじさんが話しかけてくる。
「それって前に進もうとすると起きて、なおかつ前にすすんでいるときに起こることです。んで、ほとんどの人が辞めちゃうんです。前に進むのを。不安に負けちゃうんです。でも、この世界は光と闇、男と女など2つのものがあわさってできています。前に進むときも希望と不安の両方がないと進めないんです」
たしかになにもしなければ「こうなったらどうしよう」なんて悩むわけない。
変化しようとすると不安は生まれる、でも、希望も生まれるんだ。自分がどっちに目を向けるかなんだ。
とわかったところで前に進めるかどうかは別で、前に進める気がしない。
「ごっちゃになってるからですよ、やりたいコトとやりたくないコトが。ハッキリさせることです、やりたいコトとやりたくないコトを」
「人ってつかえるエネルギー限られているんです。で、やりたいことよりもやらなきゃいけないことやどうでもいいことにエネルギーが行きがちなんです。なのでハッキリさせることです、やりたいコトとやりたくないコトを。紙に書いてみて、やりたくないコトをやらないようにすると不思議とやりたいことにエネルギーが向いてきます」
おじさんが続けて、そう答えてくれた。天使が息を吹きかえしてきた。
自分が心に描いていた、理想のシンプルでコンパクトな生き方を実現するため、やりたいコトとやりたくないコトを紙に書いてみよう。
そう思ったら目の前にペンと紙が。おじさんが用意してくれた。
「ありがとうございます」
一言お礼をいって真っ白な紙に向かって自分のやりたいコトとやりたくないコトを書き出してみた。
やりたいコトは出てこないがやりたくないコトは出るわ出るわ、紙の半分以上「やりたくないコト」で満たされた。
「ずいぶん出ましたねぇ、いいことです。このやりたくないコトのなかで明日からできそうなことってありますか?」
「あぁえっと、この不快な環境に身を置くはできそうです。なんかついガマンしちゃうんですよね、暑かったり寒かったりしてもガマンするクセがあるんですが、これならやらないをできそう」
紙に頭のなかを書き出したからか、頭がスッキリして、心に余裕がある。
いまなら自分のやりたいことが、いや、やりたくないことをやらずにいれそう。
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