徳をつむって恥ずかしい? じゃあこうすれば?

徳をつむってはずかしいをやめるには?-福岡箱崎たまゆら庵 スピリアル−ブログ

徳をつむって恥ずかしいです。最初は恥ずかしい気持ちがいっぱいです。

断られたらどうしよう
余計なお世話かも
周りにどう思われるだろう
偽善者って思われるかも

などなど、ありとあらゆる恥ずかしくなることを脳がさがしてきます。

ただ、徳をつむように心がけると人生は変わっていきます。もちろん良いほうへ。

ってなことで徳をつむように心がけたいけど、それができない。という人にまずはこうしてみてはどうでしょう、という記事です。

まずは自分を満たすことからはじめるてはどうでしょう?

やらないとカルマがたまる人も

徳をつむ状況があっても、末期症状だとなにも感じません。さらに末期症状が進んでいるとカルマを貯めようとします。

みんながつかうとこにツバをはくとか、みんなが使うところを汚し、ちらかしても気にならない、人の迷惑を考えられません。

そもそもカルマって?

徳をつむのは恥ずかしい002-福岡箱崎たまゆら庵

カルマ=軽魔で地獄のポイントカードです。

それ自体がすぐに大きな悪いことにはなりませんが、たまりにたまってトンデモない悪いことが起こるのがカルマをためる生き方です。

「今だけ金だけ自分だけ」という言葉がありますが、そんな生き方はカルマをためます。

目先では良いことが起きていても、長い目でみると悪いことにつながるのがカルマをためる生き方で、徳をつむのとは真逆の生き方です。

なんで
今だけ金だけ自分だけに
なるのでしょう?

原因はいろいろですが、学ばないことだと僕は考えています。

アジアで一番勉強しない社会人は日本人と言われています。

徳をつむのは恥ずかしい-福岡箱崎たまゆら庵

14カ国だけの調査ですが、一番勉強しないのは日本人がダントツに一位です。

自分の成長のためになにをしているかと聞いた結果、日本人の46%がなにもしないと答えました。ちなみにその他の国の平均は13%です。

日本の雇用システムは努力しなくても待遇は変わらないし、みんなと一緒が安全・安心と考える人が多く、出る杭は打たれやすい環境です。

「じゃあ、勉強したり努力するって意味ないじゃん」と考えるのは当たり前ではあります。

ですが、勉強することで自分ができないことができるようになり、知らなかったことを知ることで人生の幅が広がり、それがそのまま人間の質になるんじゃないでしょうか。

勉強することで人間としての幅が広がり、相手の視線に立てるようになります。

本来、魂が順調に成長していると、高校生くらいで相手の視線に立てます。

ですが、勉強をしないことがその成長をとめているのかもです。

そうやって勉強しないと想像力が弱く、相手の立場にたつことができず、今だけ金だけ自分だけと考えがちになります。

んで、そうなるとカルマがたまり、最終的に自分に悪いことが起きることもあるわけです。

そんなこんなで、より良い人生のために勉強をして、徳をつむ生活を心がけたほうがいいわけですが、恥ずかしさがジャマをする。

それをどうすりゃいいのでしょう?

心の生活習慣病

徳をつむのは恥ずかしい03-福岡箱崎たまゆら庵

やってダメなことじゃないのに、ついつい周りの目が気になってできない。

それは心の生活習慣病で
「目立ったら罰ゲーム病」です。

まず結論から言うと、誰も気にしてません

アナタは有名じゃないです。かっこよくもキレイでもなく、逆にブサイクでもない普通の人です。道をあるいている「通行人A」なわけです。他の人からすれば。

そりゃそうだけど
そりゃわかっているけど

でも行動できない、というのが心の生活習慣病の症状で、いわゆるブレーキとアクセルをべた踏みしている状態で、知らないところで心に負担がかかっているわけです。

徳をつむのは水車をまわすようなもので、回るまでは大変ですが回り始めたらラクちんです。

回すまでにジャマする「目立ったら罰ゲーム病」どうつきあえばいいでしょう。

まずはねぎらってみることから

ねぎらうことです。

自分を褒めてみましょう。意外にできてないもんです、自分をねぎらうって

自分のコップに水がないと人にあげられなように、誰かになにかをするのも自分が満たされてないとできません。

まずは自分を満たすことが徳をためる生き方をしたいけど、できない、でもやりたい。

ワタシはどうすりゃいいの、ムキ〜!

という症状から出るための方法です。

ちゃんと寝たね
よく起きたね 寝がえりうてたね
水飲めたね 食べ物たべたね

などなど、最初は当たり前のことですらほめられます。

徳をつむのは恥ずかしい04-福岡箱崎たまゆら庵

でも、どこかのタイミングで「できて当然」と思われるし、自分もそう思うようになります。

なんだけど、僕たちは生きるために奇跡的な行動を連続してやり続けています。

それを何十年もやっている自分を、人っていつの頃からか認めなくなります。

徳をつむ行動って、ホントなら当たり前にできることですが、それは自分が満たされていることではじめてできることです。

ちゃんと朝おきた
顔をあらった
歯を磨いた 車を運転した
安全に運転した
時間通りに仕事にいった
挨拶をした

そんな当たり前にやってる行動をいちいち書き出して、それをねぎらっていると自然とだれかになにかをしてあげたくなります。

子どもの夢を応援する-ZENISTLIFE

誰になんと思われるだろうとか考えるヒマもなく体が勝手に動きます。

誰になんと言われるだろうと考えるまえに「ありがとう」という言葉がかえってきます。

誰になんと言われなくても気にはなりません。

人って、特に日本人は私のためよりも公のためにという意識が強いと言われます。

自分をねぎらって自分に余裕がうまれると、自然に徳をためる生き方ができるはずです。

そんな人たちがあふれた社会はどんな場所になるでしょう?

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