いつかどこかで「たまSora」を

ゆるふわに心地よく生きるロードマップ-福岡箱崎たまゆら庵

いつかどこかでやれたらなぁ

なんて思っていたらいつまでたっても出きやしない。

っていうことで50歳までに「たまにはSoraでもながめましょ」をオープンさせることに決めました。

実はできるかどうかじゃなくて、やらなきゃいけない状況にどんどんなっていて、あとは覚悟を決めるだけになり、覚悟を決めたので、やっています。

ということで、ひそかにやっている「たまSoraプロジェクト」について語っていきます。

夢は見るものじゃない、夢は叶えるもの。そして、夢を叶えること、それは強い意志をつらぬくこと

おっしゃるとおりです、Gacktさま

「減速して自由に生きる」そんな言葉にほだされて

たまにはSoraでもながめましょ?

パクリだよね?

知っている人はそう思うはずです。

そのとおりパクっています。

「たまにはTSUKIでもながめましょ」

そんな名前の一風変わったオーガニックバーが東京にありました。

このバーは髙坂勝さんという方がやられていました。

その「たまつき」をパクったのが「たまそら」です。一応、髙坂さんに許可はもらっています、僕の親友をとおして。

ダウンシフターズという生き方

髙坂勝さんのことをネットで知り、本を読み、ダウンシフターズという生き方を知ったのが6年前。

それから実践していくうちに、いまのライフスタイルに落ち着きました。

ダウンシフターズという生き方は欧米で始まった生き方で、日本では髙坂さんが第一人者です。

川の流れそのものを変えるのは難しいけれど、川から上がって、いい方向に行ける道をつくるのは可能なんじゃないかというのがダウンシフトの考え方です。

大きな流れだと、どんなに抗っても結果的には流されつづけてしまう。その先にあるのが未来のない崖だってわかっていても、流れから抜け出せない人もいる。そんな人のために階段をつくって「こっちの方がゆっくり降りられるよ。そこにずっといたら痛い目みるよ」と言ってロープを手渡す。

そんなイメージです。

いまの社会で生きるのがつらい
いまの社会の枠組みに違和感しかない

僕以外にもそう感じ、どうしたらいいものか考える人が増えてきた気がします。

ピラミッド型の社会で頑張ることをやめて、自分のペースで生きていくことを望んでいる人が増えてきた気がします。

少なくとも僕の周りはそんな人ばかりになりました。

お金がなくて不便はあるけど、その不便をなんとかする知恵と時間を増やして生きていく。

そんな生き方がダウンシフターズにはでき、そんな生き方をする仲間を増やすことができれば、そのために、まず心の生活習慣病を抜けるきっかけをつくることができれば。

なんてことを考えていたらヘリオセントリックの星読みやサウンドソウルズ®、タッチフォーヘルスを知り、学び、覚え、いまに至っています。

たまSoraとは?

そんなこんなで、

自分で食べるものを自分で作り

あまったモノと時間をつかって

人の役に立つことができ

それが自分の生きがいになれば。

そんなことを考えていくうちに「たまにはSoraでもながめましょ(たまSora)」というカフェ&ゲストハウスをつくろうと考えるようになりました。

「たまSora」のコンセプトは「なんにもないがあるところ」です。

僕たちにモノはこれ以上必要なのか?

その答えはノーが僕の考えです。

資本主義という洗脳をうけ、争い・競い・奪いあうことが生きるコト。そのなかでもらったわずかな豊かさで、自分の体と自然を壊すことが贅沢。

違うそうじゃない。それじゃない。

そう感じるようになった人は僕以外にもいる気がして、そして、そんな人たちが世の中の主流になるんじゃないかと感じています。

資本主義の後にどんな未来が待っているか。それはだれもわからず、僕もわかりません。

だからこそ自分でつくれるわけです。

そのためにモノを減らし、モノを持たないことを目指し、

シンプル・コンパクトに自分らしく

そんな生き方を目指す、そのためのヒントやきっかけを得る場所が「たまSora」です。

「なんにもないがあるところ」で自分の内側と対話するように時間を過ごし、自分はどうしたいかを思い出す場所、それが「たまSora」であることを願っています。

ギャラリー

「たまにはSoraでもながめましょ」は、どこにできるかわかりませんが、福岡のどこかにできます。

海まで10分くらいのとこで、キレイな水と空気がある、静かな場所です。

自給自足をして、あまったもので料理をつくります。

シンプルだけど体がヨロコブ、ふだんの料理。

「なんにもないがあるところ」だからこそ自分の内面が見え、自分とゆっくりおしゃべりができるところを目指しています。

違うそうじゃない
自分のやりたいことじゃない

そう心のどこかで思っている人が自分の居場所を見つけられることを願っています。