当たり前だと思っていること。
実はそれって、すり込みによる思いこみだったりするかもです。
そんなすり込みによる思いこみのことを「心の生活習慣病」と僕はよんでいて、
ゆるふわに心地よく生きるため、そんな思いこみを外すことをオススメしています。
そんな思いこみの一つに「二元論」というものがあります。
この二元論にハマると、思考の幅がせまくなり、世界がゆがんで見えることもあります。
二元論とは?

男と女、光と闇、善と悪、豊かと貧乏などなど
どちらか一つだけでは成り立たないものがあり、この地球に生きている以上、二元的に考えがちです。
ですが、この考え方にしばられると思考の幅がせまくなり、思考が停止することもあります。
たとえば先進国、途上国とわけがちです。
ですが「ファクトフルネス」という本では、先進国と途上国でわけるのではなく、貧富の差はLV1〜4にわけて考えるのが正しく、
世界の貧富の差は広がっているわけじゃなく、どんどん縮んでいるという考えかたの方が正しいモノの見方だったりします。
二元論的なモノはありますが、それだけが全てではない。
そんな考えかたをすることが、これからの時代を心地よく生きるために大事なことだったりします。
スピリチュアルな二元論
スピリチュアルな情報には「二極化」というキーワードがあり、
「正しい方向にいかないとダメ」
と発信する人もいます。
スピリチュアルにハマるときって、心が弱くなっています。
んで、誰かに助けを求めた結果、師匠やマスターみたいな人から、
「(師匠にとって)正しい方向こそが正しい」

なんて言われると、すんなりと考えを受けいれてしまいます。
このA or Bのどちらか
正しいのはどっちか一つ
間違った方を選んではダメ
この考えかたは子供のころから、
「A or B。正しいほうを選びなさい。間違ったらダメ」
そう教育され、自分はそう思わなくても、いわゆる正解をこたえる練習をすることで、
A or Bと考えがちになります。
ですが、実際は複数の選択肢があり、どの選択肢を選んでもOKというのが、本来の健全な考えかたで、
「みんな違って、みんな良い」
そうやって多様性を受けいれられるようになるのが、本来のスピリチュアル的な考えかただったりします。
二元論から抜けるには?

そもそも日本人は「中空思想」といって、白黒ハッキリさせない考えかたが得意な国民です。
そんな中空思想を思い出すことが、これからの時代を心地よく生きるために大事なことじゃないかと僕は考えています。
そのために「A or B。そのどっちかだけが正しい」という二元的な考えから抜けるべきなのですが、どうすれば抜けられるでしょう。
疑う
二元的な考えかたをやめるために邪魔になるのが、
「物事を疑う=悪」
という考えです。
この「物事を疑う=悪」というのは、すり込みによる思いこみで、
自分はどう考えるか?
と考えられなくなり、みんなと一緒が安心、誰かのいうことに従っていれば安全。
そんな思考におちいってしまいます。
時代の流れが変わっていて、人々の価値観が変わっていて、
自分はどう考えるか?
その結果、どう動くか?
と自分の頭で考えることが求められてくるはずで、そのために正しく疑う習慣を身につけましょう。
考える
「正しく疑う習慣」を身につけるための練習が考えるということです。
とにかくよく考えろ
よく考えて動け
なんで考えないんだ
などと怒られることがありますが、そもそも日本人の8割近くが考える練習をしないまま社会に出ていて、
同調圧力に負け、周りにあわせ、上にしたがうのが行動パターンになっていて、考えることがどういうことか、わかってなかったりします。
そんな考えない人がほとんどの国にいると、自分の意見を言うと仲間はずれになることもあり、自分の意見を主張するより周りにあわせることを優先しがちです。
「考えるって、どういうこと?」
というと、
事実を見つけ
↓
そこから自分の解釈を考え
その解釈の理由を考え
↓
結論を出す
の順番で情報を整理することです。
この考えは「トゥールミンロジック」と言われています。興味のある方は調べてみてください。
リテラシーを高める
リテラシーが低いと、いらないものを買わされ、やらなくていいことをやらされ、お金や健康を失う確率が高くなります。
自分はどう考えるか
自分はどう生きるか
そのための判断基準になるのがリテラシーで、宗教では戒律として、やっちゃいけないこと、こう生きるべきというのが決められています。
ですが、日本人は無宗教な人が多く、宗教という言葉にアレルギーを持つ人も多いです。
そのせいで、無課金で難易度の高いゲームに挑戦するような無謀な生き方をしてしまうことにもなります。
この地球は二元的なもので世界が作られていて、すり込みによる思いこみで、極端なモノの見方をしがちです。
ですが、白と黒のその間に無限の色が広がっていて、その無限の色でどう人生を描くか。
そのために二元的なモノの見方から抜けるのが、いまこの時代を選んで生まれてきた、僕たちの課題じゃないかと僕は考えています。
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