霊とか魂とか信じますか?
スピリチュアルに興味がない、むしろ、うさんくさくてキライ。
というかたは読まないでいただくとして、今回は霊と魂についてです。
僕たちの体は魂の器で、魂を磨くためにこの世界に生まれてくると言われています。
そんな魂ですが、一霊四魂に分けるという考えがあります。
そんな霊と魂について理解を深め、自分の人生をより良くするヒントになればと思います。
一霊四魂

魂についてはいろんな考えがあります。
宇宙から来たとか、生まれ変わるとか、どんなカタチをしているかなど、人によって言ってることはそれぞれです。
そもそもスピリチュアルは、これが正解というものがなく、人によって捉え方は様々だと個人的には思っています。
ただ、自分の考えが正しいと自分の考えを押しつける変テコな人がいますが、自分の考えを押しつけるのはNGだと思っています。
なので、僕はこう考えるけどユーはどうだい?
という提案が、この記事のスタンスです。
んで、話をもとにもどすと魂を一つの霊と四つの魂に分ける考え方があります。
これは僕たちが住む太陽系の姿と似ていて、ヘリオセントリックを使っている僕はこの考え方はしっくりきます。
霊
まず霊です。
霊→靈がホントなので、難しいほうの「靈」をこれから使います。
靈はどんなカタチをしているのか?
勾玉のようなカタチだと考えています。

ただ、この勾玉のカタチは本来の靈ではなく、曲靈(マガヒ)と言われる状態です。
残念ながら、いま生きているほとんどの人がこの曲靈になっています。
四つの魂をコントロールする主の体=靈がゆがんだ曲靈の状態です。
曲靈(マガヒ)だと四つの魂は、
勇ましく前に進むチカラが暴走し、勝ち負けにこだわります。
人を愛し物事を生むチカラが暴走し、悪だくみを考えます。
みんなと仲良く調和するチカラが暴走し、執着します。ストーカーのような状態になります。
世の中を良くするための知恵のチカラが暴走し、変なことを考えます。増税ばかり考えるあの人たちのように。
靈そのものも、あっちへふらりこっちへふらりと進み、本来の目的を忘れてさまよいます。
なんで、そうなるかというと心棒(辛抱)がないからで、本来のカタチじゃないからです。
本来のカタチ、直靈(ナオヒ)の状態は陰と陽が統合されていて、2つの勾玉がくっついたカタチになっていると考えています。

陰と陽が統合されているのが本来の状態で、直靈(ナオヒ)と呼ばれる状態です。
靈が本来の目的を果たすために四つの魂をコントロールして行動します。
この直靈の動きは本当の太陽系の姿と一緒で、直靈にもどることで宇宙の流れとシンクロし、生きることがラクになっていきます。

周りの人とわかりあえなくなることもありますが、そのうち人間関係がリセットされてラクになります。
たぶん。
魂
そんな直靈にコントロールされた魂について、もう少し掘り下げます。
魂は四つあり、曲靈から直靈にもどることで本来のチカラを発揮します。
争魂→荒魂(あらみたま)
「勇」の魂。外に前に向かっていくチカラを生む魂。
逆魂→幸魂(さちみたま)
「愛」の魂。物事を生み出す。愛し育てるチカラを生む魂。
悪魂→和魂(にぎみたま)
「親」の魂。んなと仲良く、調和するチカラを生む魂。
狂魂→奇魂(くしみたま)
「智」の魂。知識を探求し、物事を観察、分析、統合するチカラを生む魂
直靈にもどると四つの魂はこのようなチカラを生み、魂を磨くためにあたえられた時間をつかい、魂が充足した生き方に変わっていきます。
この四つの魂は暴走しそうになると「恥じる、悔いる、畏れる、覚る」と自分の行動を省みるという特性を持っています。
どうすりゃまっすぐなるの?

「あぁこれワタシのことだぁ。ぐにゃぐにゃのこんにゃく人間みたい」
と怒られている感覚の人もいるかもです。
安心してください、忘れているだけです。自分が直靈であることを。
一霊四魂の話は日本書紀に起源があると言われていますが、実際はもっと古い段階から一霊四魂の考えは日本にあったとされています。
外国の人は知りませんが、僕たち日本人は昔から言われているはずです。
「お天道さまが見ているよ」
「神さまが見ているよ」
と。誰も見てなくても、どこかで誰かがなにかが自分のやっていることを見ている。だから、自分の行動を省みて、ちゃんとした行動をしなきゃ。心のどこかでそう思っているはずです。
まっすぐに靈をもどすには、誰が見てなくても良いことをする、悪いことをしないことです。
困ってそうな人に声をかける
できそうなことあればやる
ゴミをひろう
トイレを掃除する
おつりを募金する
など、ちょっとしたことをやることです。
地味で地道なことをコツコツとやっていくことで、ちょっとずつ真っ直ぐになります。
真っ直ぐになってる実感はなくても、やって悪いことではないので続けましょう。
やっていくうちにやらないと気持ち悪くなり、ついつい徳をためる行動をやっていればしめたものです。
最初は100%私利私欲でOKです。
霊主体従にもどる
靈を直靈にして四つの魂をコントロールすることで靈主体従にもどります。
いまほとんどの人は体主靈従になっていて、目に見えるものを信じ、お金が大切、自分のことが大切、いわゆる「今だけ 金だけ 自分だけ」という状態です。
靈主体従はその逆で、目には見えないけど、心地よく感じるモノやコトを大事にして、分けあいながら生きている状態です。
靈主体従で大事なのは「感じるチカラ」です、考えずに感じることを大事にします。
世間がこうだからとかは関係なく、自分が心地よいと感じるほうを大事にします。
他人と意見がちがうことを気にしません。
「そういう考え方もあるよね」
と相手の意見も尊重します。
たった一度の人生、ゆるふわに心地よく生きるため、与えられた肉体を大事にしながら、魂を磨いて暮らしていく選択もあるんじゃないでしょうか。
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